わからない自分

旦那の試験会場に迎えにいったら 超ご機嫌で「大丈夫そう 」って言ってた。
うちに帰宅して、試験の復習をしていた。
しばらくしたら、

「あ゛ ゴメン 」って嘆きが聞こえた
致命的なミスをしたようだ。
即刻失格のミス・・・。


なぜ そんなミスをしたのだろう?
なぜ いつもなら確認するのに・・・訂正に何分もかからないミスを見逃したのだろう?
順調で 安心したのだろうか・・・初歩的なミスとしか言いようが無い・・・


旦那は 自分にあきれていた・・嘆いている。
その気持ちが 痛いように伝わってくる。
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アガっていた!っと理由をつければ それまでのことだ。。。
試験なんだ、アガって当然です。
それでも全国で3000人は受かるのだ!


この4回の試験の失敗の中で、4回ぶち当たった「あがり症」という壁。
技術をどんなに付けようが、練習でどんなに良い点を取ろうが、
本番で実力を発揮できないのであれば 無になってしまう。

今回は特に痛感したようだ。
こんなはずじゃなかった・・・自分を過信したからこそ出る言葉だ。
今までは「いじ」とゆうか「執着」のように見えていたが、
今回 初めて 本気で悔しそうにしている。

・・どうして見落としてしまったのか・・・本当にわからないようだ・・・
とても いい顔をしている。

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人生の中で、一度もあがらない人が居たら、それはある意味病気だと思う。
精神科なりを受診したほうがいい。

旦那は、今まで安全な道ばかり歩んできたようだ。
極限を克服する場面に出くわしたことは無かったようだ。
そんな自分を見たくなかったから、避けてきたのだろう。
今までが軽すぎたのだ。享楽的な活き方にみえる。
あがり症って・・・そんな言葉で収めるくらいなら、試験なんか はなっから受けなきゃいい・・・
あがり症って壁は、自分自身で作った壁にしか過ぎない。
つまり、自分に負けたのだ。
克服しようにも方法がわからないと言う。
本人がわからないものを、わたしが知るすではない。
わたしの経験を話すのは簡単なことだ。
しかし、感性が違う。克服の仕方だって違うと思う。


「自分がわからない」
当たり前のことだ。
そして、いい言葉だ。
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格好悪い自分から目を背けている限り
本当の自分と出会うことは難しいだろう。
克服しようって意識すればするだけ、逃げ惑うだけのように思う。


わからない自分を認めるしかない。
自分とどう向き合うか・・・
自分を好きでいるために、自分にしてあげれること・・・

言葉で言えば それだけのことだ。
後は、感じるしかない。。。。



旦那は、わからない自分に立ち向かおうとしているようだ。
たくさん悩んで、たくさん悔やんで、たくさん感じて、
いつか「ふっ」と方法がわかるだろう。
1回コツを掴めば コッチのものだ!

避けてきた年数が長いだけ 道のりは長いと思うが、立ち向かってほしい。
極限まで追い込まれて・・・そして、強くなってほしい。
きっと試験は関係なく、良い経験になるはず

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昔の人は、苦労は買ってでもしろ!っと言うが、
わたしは 無意識に苦労する道を選択するタイプのようだ。
極限にぶち当たったときに、初めて会う 自分がいる。
そんな自分を知ることで、自分のラクな活き方が次第に見えてくる。
自分からは逃げることは出来ない。
逃げれば、また同じ過ちを繰り返す。。。
時間をかけてでも、1つずつクリアしていくしか方法は無い。



幼少はちやほやされ育った。その後、家族崩壊&借金まみれ
10代〜20代前半は、自分(孤独)との闘いだった。
            "敵(弱さ)は自分の中にいることを知った"
20代半ば〜後半は、人との共存(結婚)の難しさを知った。
            "わたしは音をあげて、逃げた"
30代前半(今)は、今までの復習&まとめダ。
          "相手のペースを見守ることが出来るか"

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この試験に落ちたところで、死ぬわけでない。
もう受けないなら それでいい。
ただ、
これほどまで 自分の欠点をみれる体験は 早々ない。
貴重な体験だよ。

今まで 苦手な場面を避けてきたのだろう。
これから先も、そんな場面を避けて生きることも出来る。
でも、
そんな自分を 本当に好きでいれるの?
そんな自分の活き様を格好いいと思う?
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わたしは極論を言っているのかもしれない。
わたしは言ってはいけないことを言っているのかもしれない。


そんな、わたしの言葉にも
「なにくそ〜!」って思うくらいの威勢がなきゃ〜
わたしは旦那の何を好きでいればいいのか分からなくなるだろう
頑固で一途な部分を上手に活用してほしいと願う


今回 逃げれば、
この先 何十年と・・・この人の弱さをみることとなるだろう
幾度となく 繰り返し・・・言い訳を聞かされるのだろう・・・


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「失敗しないように生きる」「安全に生きる」「無難に生きる」
ということは
「成長を手放す」ことになってしまうのかもしれない。



何かをする・やめる時の判断基準は
「勇気・挑戦・チャレンジ」で物事を決めるか
「逃げ・不安・怖れ・恥」で決めるかで大きく違うと思う。

時には、「勇気ある撤退」という言葉もあるように、
逃げることも勇気がいる場合があります。
しかし、「勇気ある撤退」を 自分の都合のいい様に使わないでほしい。。。
「勇気ある撤退」は、大切な人達を守るときに使う時の基準デス。
一生のうちで なかなか遭遇しないと思います。



ですが、
どれを選んでもいいのです。
悪いということもないと思います。


ただ、
自分の人生を変えてみようかな〜と思うのなら、
行動の基準に「失敗しそうだから、やめる」ではなく


「勇気・挑戦・チャレンジ」を選んでほしいです♪
失敗に負けない『強さ』を育ててほしいです。


頑張るのではなく、
当たり前のことを
当たり前に出来るようになってほしいです。
そして、その当たり前のレベルを深めていってほしいです。


わたしも まだまだチキンですが、勇気を出して活きます  
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今回の試験で よい友がいたことに気づけたようです。


前回の試験勉強の時からの勉強仲間。
その彼は、今回の試験は受けなかったようですが、
幾度と無く連絡をしていたようす。


試験当日の朝も「頑張って」と連絡をくれた。
試験が終わった晩、仕事が深夜に掛かり 忙しかったようだが「どうだった?」と連絡をくれた。
何気ないやり取りの中で
旦那は 本当に励まされたようだ
「こんなに近くに いい友が居たことを知った」っと旦那は言っていた。


もし今回の試験で玉砕していなければ、
友の声(気持ち)は旦那には届かなかったかもしれない。


不思議なものだ